桶田敬太郎の亡くなった理由は?コンビ解散後は何を?ツイッターの反応まとめ【フォークダンスDE成子坂】

2020年2月17日、お笑いコンビの「フォークダンスDE成子坂」のメンバーだった桶田敬太郎さんが、2019年11月23日に48歳の若さで亡くなっていたことが報道されました。在籍していた芸能プロダクションMRのホームページに訃報が掲載されています。

「弊社取締役桶田敬太郎は、広く創作活動に勤しんで参りましたが、昨年11月23日に病により永眠いたしました。なお、葬儀と七七日法要は故人の遺志により近親者のみで相済ませました。また、お別れの会などの予定はございません。ここに故人が生前中賜りましたご厚誼に心より御礼申し上げます」

出典:MRホームページより

フォークダンスDE成子坂といえば、90年代のバラエティ番組「ボキャブラ天国」やお笑いネタの番組でよく見かけファンも多かったコンビです。

ボキャブラ天国に出演されていて、その後有名になった爆笑問題やネプチューン、まだ海砂利水魚という名前だった頃のくりぃむしちゅーと比べても、ネタはおなじくらい面白く人気もあったと思いますが、1999年にコンビが解散となって以降はほとんど見る機会はなくなっていました。

今回は桶田敬太郎さんの今わかっている亡くなった理由や、フォークダンスDE成子坂のコンビ解散後何をされていたのか、ツイッターでの反応をまとめてみました


亡くなった理由は?

所属していた芸能プロダクションMRの発表には病名の記載はありません

また今年の1月末に有吉弘行さんがご自身のラジオ「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」で「フォークダンスDE成子坂って悲しいけどね。お二人とも、お亡くなりになっちゃいましたね。」と発言されていて、本当に亡くなったの?という噂は流れていましたが、この時も病名は出ていなかったようです

桶田敬太郎さんのツイッター(@OKEDA_KT6)は2019年の9月、ブログは2019年の5月に更新が止まっており、ファンの方々が安否を心配されていただけに、今回の訃報は残念でたまらないですね。

コンビ解散後は何を?

フォークダンスDE成子坂を解散された後は音楽活動に専念されていたようで、バンド「The 3cm〜」のボーカルとして活動されていたようです。

2004年からはかつてのツテで、放送作家として番組、タレントの企画や構成、演出を行ったり、ライターとして活躍されています。

ピン芸人としても復帰されており、ネタの公開や後進の育成に務められていたようですね。

2016年にはポッドキャストでフォークダンスDE成子坂が、当時2人でお笑いを目指しなぜ解散したか,というのも語られていたり、視聴者の質問に答える企画などを行われていたようです。

桶田敬太郎さんのツイッター(@OKEDA_KT6

ブログ フォークダンスDE成子坂:桶田敬太郎”Twitter用ブログ”

ツイッターでの反応

ツイッターでの反応を見てみると、2000年以降は出演されている姿をおみかけしませんでしたが、人気があったコンビだったんだなと実感します。

まとめ

まだボキャブラ天国がやっていた当時、爆笑問題やネプチューンに並んで、非常に好きなコンビがフォークダンスDE成子坂でした。

村田渚さんがコンビ解散後、ピン芸人でがんばっている姿も見てきましたから、その2人がまさか村田渚さんが35歳、桶田敬太郎さんが48歳という若さで亡くなってしまったというのはショックですし、とても悲しく思います。

当時、間違いなくおもしろかったと思う2人のネタを改めて見直してみようと思います。

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